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花咲く野原にて

春から夏へ移り行く晴れた日の午後・・・。私はふとどこか遠いところに行ってみたくなります。私はひとりで歩いていられる自分が好きなのですが、時折無性に人恋しくなり、普段とは違う何かを求めたくなるのです。いよいよ夏も過ぎ、静かな秋の気配を感じるようになると、特別寂しい気もせず、ひとり遊びで事足りるようになるのですが。


6月のある晴れた日、私はスケッチブックを抱え、自転車に乗って外に飛び出しました。こんなにもあたたかな光の中になら、私の心をはずませてくれるものにきっと出会えるはずだと、そんな根拠のない期待に導かれて。行くあてはなかったのですが、見知らぬ風景に立って絵を描いてみたかったのです。その頃、私はもう半年以上も絵筆を握っていませんでした。私の内側には空虚な気分が支配していて、何をする意欲もありませんでした。でも、もう一度以前の自分を取り戻し、素直な気持ちで風景に向き合いたいと思っていました。

二、三時間、ただがむしゃらに自転車を走らせていたら、郊外の寂れた造成地に通じました。人気はなく、まばらに茂った雑木がやわらかな影を落としていました。自転車を止めてしばらく歩いていると、ちょうどいい具合な野原がぽっかり広がっていたのです。名も知らない花たちが美しく咲き乱れていました。ここだけ時間の流れが違っているようです。
「きっとここなら大丈夫」— —私はその場所がすっかり気に入ってしまいました。気分良く私はスケッチブックを開き、鉛筆を走らせます。風景を描くのは本当に久しぶりのことでしたが、少し手を動かしてればいつもの調子が戻ってくるはずです。私は真剣に風景に向き合いました。ところがどうやってもうまく描けません。どれだけ紙を汚しても、この時ばかりはどうにもならないのです。
私はすっかり途方に暮れてしまいました。明るい世界に出て行けば、また絵が描けるようになると思っていたのに。こんなにも美しい風景を前にしながら、何もできない自分がいる。すっかり道が閉ざされてしまったようで、私の気分は暗くなりました。私は絵を描くことをやめ、その場を立ち去りました。

それから一月が過ぎました。いつかと同じようにあたたかな午後、なぜだか不思議とあの風景をもう一度描いてみたくなりました。きっと今度は描けるような気がしたのです。私の胸の内は、いつになく穏やかな気分に包まれていました。でも、同じ風景に向き合うことは、私にとって少し勇気のいることでした。今度うまく描けなかったら、これからずっと絵が描けなくなるような気がしたからです。
あの時の野原は変わることなく、そこにありました。私は画材を準備し、草っ原に配置しました。そして静かな心持ちで、その風景に向き合いました。鉛筆で大雑把な構図をなぞった後で、すぐに絵筆に持ち変えました。私は、水彩の一般的な手順を外れて、気に入った箇所から描き込んでいくことにしました。可愛らしい野の花達が最初に姿を現しました。そしてその周りに草が茂り野原の表情をつくっていきます。空の青を画面ににじませた時には、もう日が暮れかかっていました。うるさい羽虫に邪魔されながらも、夕闇に追いやられる前に、私はどうにかスケッチを終えることが出来ました。
絵は仕上がりました。多少急いだせいで少し色が濁ってしまいましたが、その場の雰囲気は残すことができたでしょう。私はその時とても興奮していました。その出来栄なんかより、絵が描けたことの充実感で胸が一杯だったのです。たとえ上手に描けなくたって、私はこんなにも美しい世界を感じることができた。私はまだ絵が描ける----その喜び!

私はこの時の気持ちを忘れないことにしています。絵は、不思議です。どんなに描く意欲があっても、どうしても描けない時があるものです。それがある瞬間、何かがふっと湧き上がってくることがあります。その一瞬を捕らえることができた時、自分でも結構気に入ったものを仕上げることができるのです。その衝動はいったい何処からくるものなのでしょうか。外界から突然立ち現われるものなのか、それとも自分の内側にもともとあったものなのか---。そんなことを考えられる程に、私は絵の経験を積んでいませんが、自分の内側に何かしら込み上げてくるものがない限り、人から愛される絵は生まれないのだと感じています。

春から夏へ移り行く、晴れた日の午後。スケッチブックと絵筆を道連れに、さて今度は何処に出かけようか---。