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ハインリッヒ・フォーゲラー展

001.jpg『ハインリッヒ・フォーゲラー展』を観に行ってきた。開催前からずっと楽しみにしていたのに、結局観に行ったのは終了ギリギリになってしまった。

私はフォーゲラーのことを竹久夢二を通じて知った。夢二についての卒業論文を書いたことがあって、そのための資料文献の中で、フォーゲラーという画家の名前と作品を知った。そしてある時期にフォーゲラーの絵に夢中になっていたことがあった。幻想的で物語性を感じさせる作風は非常に高い次元に昇華されていて、その豊かなイマジネーションと卓越した表現力において、同様の作品を描く画家達の中でも抜きん出た存在だった。しかし画集等をいくら探しても見つけることができず、とても悔しい思いをした思い出がある。少ない文献を手に入れるために、研究機関に手紙を書いて資料を送ってもらったこともあった。

そんなことを思い出しながらの今回の展覧会。会場につく前にこそ胸が高まっていたが、いざ作品を目の当たりにすると、案外冷静に作品と向き合う自分がいた。強く衝撃を受ける程の作品は意外に少なかった。油彩画より、やはり初期の版画や装丁・挿絵などの作品に優れたものが多かった。ロシアに渡ってからの後期にいたっては、同じ画家の作品とは思えない程、その作品世界の質が変わっていた。
20世紀初頭の激動の時代に、ロマン主義的な芸術運動の実践から次第に社会改革思想へと傾倒していく一人の画家の人生を、ドラマとして捉えれば面白がる人は多いかもしれない。しかし私はそんなことより、崇高なまでに繊細で美しかった作品世界が、次第にただ甘ったるいだけの様式美に陥ってしまう、その変容の仕方に興味がある。はかなさや曖昧さ、中性的なものに美の所在を求め、作品の主題として描いた画家達は、みんな同じ経緯をたどる。夢二も同じであった。傑出した作品を描き得るのは若い頃のほんの短い期間で、その後は霊気が去ってしまったかのように別人の絵になってしまうのだ。その理由を私は知りたい。

会場にはフォーゲラーがデザイン・設計したというベンチ椅子が展示されていた。会場の係りの人が「座ってもいいんですよ」と声をかけてくれたので、その椅子に座ってしばらく呆然と時を過ごした。たくさんのフォーゲラーの作品をぼんやり眺めながら、いろいろと考え事をした。もっと早くにこれらの作品に接することができていたら、自分にどれだけ深い影響を与えたことだろう。あまりにも長い間待ちぼうけをくって、恋い焦がれていた想いが少し褪せてしまった気がする。かつての憧れの人は今なお美しく、私の片想いは間違いではなかったと知ることができた。でもちょっとせつない。