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Writings

羊とドーナツ

最近になって、村上春樹の著作を読み始めた。ハッキリ言ってまったく関心はなかったし、おそらく一生読むことはないと思っていた。別に根拠があって嫌っていたわけではないが、手に取る理由もなかった。性格がひねくれているので、ベストセラーを出すような作家は、基本的に読まないことにしている。第一、この時代にたくさん売れる本なんて、どこかうさん臭い気がしてならない。
 けれども、私の親しい友人達が「村上春樹」の名前を口にすることがあんまり多くって、だんだん気にかけずにいられなくなってしまった。「いるかホテル」やら、「羊」と「耳」の話がどうのこうのと、私の参加できない話を傍らで続けられると、なんだか悔しい気持ちになってくる。そしてとうとう私も本屋に駆け込んでしまった。
とりあえず『羊をめぐる冒険』から読み始めた。その日のうちに一冊の半分くらい読んでしまった。とても面白い。つい続けて読んでしまうのは、その文章の読みやすさばかりが理由ではないだろう。何かしら特異な雰囲気につい引き込まれてしまう。今の時代に皆が共通して抱いている息苦しさやもどかしさ、漠然とした喪失感、不確かな存在感を、とても上手に表現できている作家なのだと思う。文章の質感・仕組みが、従来の小説家のタイプとはどこかに違っていて、むしろコピーライターの仕事に通じるものを感じる。ストーリー展開のための文章は非常にあっさりていて、実際どうでもいいもので、その前や後にかかる文脈の方が作品のエッセンスになっている。その何気なく書かれた情景描写の中で、私たちはつい微笑んでしまったり、立ち止まったりするのである。所謂<文学体験>というものに重心はなく、ある種の「雰囲気」や「気分」を、読者が「読む」という行為によって「共有」できることにその面白さがあるようだ。

 どうでもいいことだが、本の中で「羊」と「ドーナツ」の記述があって、ちょっと面喰らった。私はずっと以前から、「羊とドーナツ」をモチーフにした作品の構想をあたためていたからだ。どういうわけだか、私にとっては「羊」と「ドーナツ」がとても相性がいいものだと考えてしまうのだが、いかがなものだろうか。連続パターンの図柄にして包装紙にしたいと思っている。

休日。ある一日。

ひさしぶりに、平日に会社の休みを取った。せっかくの休みなので、寝坊してはもったいない。でも目が覚めたのはもうお昼近く。会社からの電話で起こされる。

まずは電車に乗って隣の駅へ。ガス料金を払うという大事な用事。あと3日で止められるところだった。銀行の引き落としにすればいいのだが、そう思いながらもう十数年たってしまった。窓口にいたおばさんが、コンピュータのキーボードを器用に打って画面で料金を確認をする。私がお金を出すと、おもむろに机の下からそろばんを取り出し、釣り銭の計算を始めた。あのおばさんにとっては、そろばんに勝る計算機は他に考えられないのだろう。

野方のバス停で中野行きのバスを待っていたら、「地鶏のどらやき」という看板が目に飛び込んできて、ちょっと面食らう。よく見たら「地鶏の卵を使ったどらやき」ということ。別段おかしいものでもなんでもない。けれど私の頭の中には、鳥肉味のどらやきの印象が離れない。バスに乗ってからも、しばらくこの馬鹿げた連想を追いかけてしまう。

さて、中野区役所に到着。要件は住民票の写しをもらうこと。ところが印鑑を忘れてしまった。さて困った。印鑑がなくてもいいのか聞いてみると、窓口のおじさんはニッコニッコしながら、「いいですよ!いいですよ!」と促してくれた。近頃は役所の職員も、ずいぶん腰が低くなったものだと感心する。用紙を提出して身分証を出そうとしたら、「身分証?それじゃあ、ま、いちおう見させていただきましょうか」と言って、私の免許証をちょっと眺めただけで、すぐに書類を整えてくれた。腰が低いのはいいことだけど、フレンドリーすぎないか?

それから吉祥寺まで行って、眼鏡を買う。もうすぐ免許の更新なので、用意しないわけにはいかなかった。2年前に飲み屋でなくしてしまってから、ずっとそのままでいた。日常生活の中では、別に困ることはなかった。だいたい物事は、よく見え過ぎない方がいいのだから。

眼鏡の受け取りまで時間があったので、吉祥寺の街をしばらくブラブラする。平日の街中を気ままに歩くのは、本当に久しぶり。とても気分がいい。パルコの地下の本屋を物色する。ここの本屋は、いつ来てもとてもセンスがよいのだ。外国の文学の書棚が今も充実していて安心する。でも思想書のコーナーがずいぶん縮小されていた。「癒し」系や、「励まし」系の本がここでも多大な面積を浸食してるのだ。こんな状況を今更いちいち嘆いていられないのだけど、なんとなく寂しい気分になる。

仕上った眼鏡を受け取ってから、上野まで移動。ちょっと怪し気な映画館で、テリー・ギリアムの『ラスベガスをやっつけろ!』を観る。実は、これが今日一日の一番大事な用件だった。テリー・ギリアムは、私の期待を裏切ったことがない。今回も期待以上に私を楽しませてくれた。最高にエキサイティングで、最高にイカレた映画。監督自らが、「この映画を世に送りだしたことで、何をしでかしたか、何を招いたかは定かではないが、前もって謝っておきます」という言葉通り、不快なものが満載で情緒のかけらもない。全編にわたりドラッグの嘔吐感に支配されるのであるが、観ているうちに不思議と爽快感がこみ上げてくる。

この作品によって決別するものとは何か? 「アメリカンドリーム」という名の幻想と統制のシステム、70年代ライフスタイルへの浮かれた回帰願望、「カウンターカルチャー」という言葉への過剰な期待、「愛と平和」をドラッグによって買えると信じた若者たち、そしてその過ち---。そんなうさん臭いものをすべてを払拭してくれるのが、この映画なんだろう。監督が語っている、「この時代に切望される映画作品だと思っている。『ラスベガスをやっつけろ!』は90年代用の浣腸だ!」---90年代の締めくくりにふさわしい映画だと思った。

気分良く劇場を出て食事する店を探していたら、どこも若い男女で満席だ。なんなんだ?……あぁ、そうか、今日はホワイトデーとかいうものらしい。イカレた映画を見て一人で喜んでるのは私くらいか。

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