バルト三国の旅2011(その25) 〜ヴィリニュスの旧市街(1)

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「夜明けの門」をくぐるとその先は、世界遺産・ヴィリニュス旧市街。それまでの生活感漂う街並とは急に景色が変わります。

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ヴィリニュスの旧市街は、タリンのような中世の時代そのままを感じさせる街並ではなく、リガのような古き良きドイツの面影を感じる街並とも違い、カウナスの美しいゴシック建築が残る美しい街並にも及ばず、あまり特徴がなくのんびりとした素朴な古都という印象。

ヴィリニュスの街の歴史は13世紀まで遡ります。リトアニア大公国の王ミンダウカスがここに居城を築いたことから、リトアニアの政治的、軍事的な拠点として機能することになります。しかし、16世紀にポーランドとの連合国が形成されると、次第にポーランドに吸収される形となり、ヴィリニュスはポーランドの一地方都市に過ぎない存在になってしまいます。その後は悲劇極まるポーランド分割を経て、長くロシアの支配下に置かれる時代が続くのです。そのような複雑な歴史の変遷が、ヴィリニュスの街並に深く影響しているのでしょう。

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夜明けの門を入ってすぐのところにある「聖三位一体教会」の門と、「聖カジミエル教会」。ヴィリニュス旧市街には、大小様々な建築様式の教会があります。ひとつひとつ見ていたらキリがないほど、たくさんの教会がありました。

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向こう側に見えるのは「聖ヨハネ教会」。ヴィリニュス大学の中にある教会。リトアニアがキリスト教を受け入れた直後の14世紀後半に建造されたもの。

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旧市街の中心部を南北に走るピリエス通り。旧市街の南側エリアは車の乗り入れもあってあまり風情がないのですが、このピリエス通りのある北側のエリアには、古都らしい美しい街並が広がっています。

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横道に入ると土塀が続く趣き深い裏路地があって、ぶらぶらと当てもなく歩いていくと、角を曲がる度に様々な表情を見せてくれて楽しいです。

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ピリエス通りを更に北に進んでいくと、大聖堂があるカテドゥロス広場へと通じます。

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ヴィリニュスの街の中心となる、カトリックの大聖堂と鐘楼。 国家建設以前の多神教の時代には雷神ペルクーナスの神殿があったと考えられています。13世紀、リトアニア大公ミンダウカスがキリスト教を受け入れたとき、最初の教会がここに建てたのそうです。その後は破壊と再建が繰り返された末、18世紀には大規模な増改築が施されました。戦後にもかなりの部分が改修されたのでしょう。歴史の深さを感じさせる外観ではないのですが、その佇まいは壮観。

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鐘楼のすぐ近くに、人がひっきりなく集まる場所があります。そこには「Stebuklas(奇跡)」と書かれた1枚の敷石が。。。1989年8月23日、ソ連からの独立を求めるバルト三国共同のデモ活動が行われました。およそ200万人もの参加者が手をつなぎ、3カ国を結ぶ600km以上の「人間の鎖」を形成したのですが、そのときの起点となったのがこの場所なのです。私たちがエストニア、ラトビア、リトアニアと旅をしてきた道は、「人間の鎖」がつながった道と重なっていました。あの頃、TVの映像で見ただけの「人間の鎖」が、こんなにも途方もない距離だったことを直に体験して、あらためて感嘆と感動が湧き上がってきたのでした。。

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大聖堂の裏手にはこんもりと盛り上がった丘があって、その頂きにあるのが「ゲディミナス城」。ヴィリニュスとリトアニアのシンボル的な存在となっています。大きな城だったそうですが、現在は塔の部分しか残っていません。丘の上までは、徒歩またはリフトで登ることができて、塔の上から見渡す景色は絶景なのだそうです。

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残念ながら、この日は丘へ登るゲートが閉じられてました。。がっくりしてたら、愛想のいい白黒猫がなぐさめてくれました。。(^-^)

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この通りの向こうには、様々な文化施設や商業ビルが建ち並ぶ新市街が広がっています。〈続〉