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『坂口尚 短編集』への想い

私が坂口尚さんの作品に出会ったのは、今から25年くらい前のこと。私は高校生でした。今となっては取るに足らない出来事にひどく心を痛めてしまったり、謂れなき疎外感を抱えてひとりでもがいていた時期でした。
 
そんな頃に一番心の支えとなったのが、坂口尚さんの作品世界でした。たった数冊の単行本をくり返し、くり返し読み直し、どれだけ長い時間を共に過ごしたことでしょう。あの時坂口尚さんの作品に出会っていなかったら、自分はどうなってしまっていたのか...。周りの人達を信じる気持ち、日常の世界を美しいと思う気持ちを教えてくれたのは、私にとっては他ならぬ坂口尚さんだったのです。
 
それからずっと、私にとって一番大きな存在だった坂口尚さん。しかし、1995年12月、突然この世を去ってしまいました・・・。「あっかんべェ一休」という大作を描き終えた直後に、急性心不全で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。

その時の悲しさは、とても言葉にできません。心のどこかに大きな穴が開いてしまって、それはもう何によっても埋め合わせることはできないのです。坂口さんのような存在は、どこにもみつけられず、その後はほとんど漫画を読むこともなくなりました。そして消費されるばかりの本が溢れる出版の現況にあっては、坂口さんの既刊本のほとんどが絶版となり、古本屋でしか見つけることができなくなってしまったのでした。


 

sh-tanpen1.jpgところが2000年11月、坂口尚さんの短編をあつめた作品集が、チクマ秀版社という出版社から新刊として刊行されることになったのです。うれしくてうれしくて、待ちに待ったその本を発売日に本屋へ買いに行きました。家に帰るまでこらえきれず本を開いた途端、いろんな想いが込み上げてきて胸がいっぱいになってしまった。思わず涙が溢れてしまいそうで、あわてて閉じてしまったくらいに...。
 
坂口尚は、世界を単純化せずに多様なものを多様なままに映し出し、「虚ろ」「儚さ」といったものに眼差しを寄せる人たちの心情をしなやかな感性で描き切った稀有な作家でした。作品の本質にあるものがそのような「言語化し難いもの」であるが故に、坂口作品の素晴らしさをなかなかうまく伝えられなくてもどかしいのですが・・・。何度読み返してみても、その繊細で豊かな詩情は、色褪せることがありません。どんなに時間がかかっても、然るべき形で再評価される日がきっと来ると思っています。


その『坂口尚短編集』刊行後間もなくして、思いがけない縁あって、『坂口尚未発表作品集』という小冊子の制作に関わらせていただく幸運を得ました。『坂口尚短編集』の1~3巻を全巻購入した読者に購入者特典として提供されたもので、初期の未発表作品を三作品を掲載した他、秘蔵のスケッチやデッサンなどを収録。私は作品のスキャンニング&レタッチ、ネーム入れ、スケッチ作品の選定まで、全体の制作工程を一任させていただきました。もちろん、ご遺族の方と編集者にご相談させていただきながら作業を進め、作者の制作意図をできる限り反映できるよう、当時の自分としては精一杯のことをしたつもりです。今あらためて手に取ると力足らずなところが多々ありますが、私自身にとっては生涯忘れることのできない仕事になりました。実は、私がフリーランスとして仕事を始めた時にたまたま声をかけてもらったのが、この『坂口尚未発表作品集』だったのです。まったく不思議な巡り合わせで、そのタイミングでしか(まだ仕事がなく、時間だけはあったので)できない仕事だったと思っています。と言っても、実際はほとんどボランティアでしたけど...(苦笑)
 
その後もチクマ秀版社刊行の「坂口尚 作品集 "すろををぷッ"」「月光シャワー」「3月の風は3ノット」等の制作に携わり、装丁、本文ページの制作、一部編集的な仕事もやらせていただきました。(※チクマ秀版社は、残念ながら2007年12月に倒産してしまいました...)


坂口尚を深く愛する多くの方たちが同じ気持ちだと思うのですが、私も坂口さんの作品からたくさんのものを受け取ってきましたし、その影響は計り知れません。曲がりなりにも、今自分が「ものをつくる仕事」に関われているのは、坂口尚さんの作品に出会えたからこそ。その感謝の想いを、できることなら坂口尚さんに直接お会いして、言葉でお伝えしたかったのですが・・・。せめて生前に一度でも、ファンレターを送っておけば良かったと、今でも悔やまれてなりません。でもこうやって坂口さんの本に関われたことで、ほんの少しでもお返しできているでしょうか? 古い作品を引っ張り出して出版してしまったことを、坂口さんがどこかで苦笑しながら見ていてくれたらうれしいですが。。